6年前の3月11日、私は都内の大学生で春休み中だった
東北から関東までを襲った、東日本大震災から6年が経ちました。
その頃はまだガラケーで、携帯のワンセグで津波の映像を見た時の衝撃、友人とともに帰宅難民になったこと、地面の液状化現象を今でも忘れることが出来ません。
もちろん、東北の震源近くで被災された方たちからすると米粒にも満たない経験ですが、東京は震度5強でこれだけマヒしてしまうんだということを知っていただきたいと思い、あの地震が発生した一日を記します。
地震直後
地震当日、私は大好きなバンドのライブを見るために新木場にいました。
地元から会場までは電車で1時間程度で、グッズを購入するために友人と昼頃からライブハウスの前で行列に並んでいるところでした。
その時突然、地面がゆっくりと大きく揺さぶられました。
最初は今までに体感したことのない揺れで、一体何が起こったのかわかりませんでしたが、一瞬で「ヤバイ」と感じました。
電柱から離れてください!と叫ぶスタッフ、突然のことで驚き泣き出す女の子、そして豆腐やゼリーの様に揺れる建物…
揺れが一度おさまったと思ったら、もう一度大きな揺れが長く続きました。
まず、家族に携帯で安否確認をしましたが電話がつながりませんでした。
幸い、インターネットは繋がったため、電車が動いていないことを知りました。
帰宅困難者に
私と友人は、「電車は止まっていてかなりの時間たたないと動かないだろう・ライブは中止だろう・歩いて帰宅するための水と食料を確保しよう」と判断して、すぐ近くのコンビニへと走りました。
コンビニの店内はかなり混雑していて、商品がなくなりつつありました。
その中で私たちは、できるだけ高カロリーで賞味期限が近くなく常温保存できるものをと考えて、小倉マーガリンやジャムが挟まれたコッペパンやカロリーメイトなどを数点、チョコレート、2ℓのペットボトルを3本、購入しました。
普段は低カロリーの物を購入しようと成分表示を見ていましたが、高カロリーの物を求めて成分表示を見る日が来るとは思いもしませんでした。
そして、バンドのグッズが入る予定だったキャリーバッグには、食料と水が入れられました。
コンビニではワンセグでテレビを見ている人が多くいました。
巨大な津波が街を飲み込んでいる光景と、逃げてくれ!逃げろ!と絶叫するアナウンサーの声が画面越しに伝わって、これが現実だとは思えませんでした。
まるで、CGをふんだんに使ったパニック映画の中に放り込まれたような気分でした。
⇒後編へ続きます
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