その時私が体験した自身の真実と反省
ニュージーランドはクライストチャーチでM.6.1の大地震が起き、都市は崩壊。
その真っ只中に居た私は、地震の恐怖を目の当たりにしたのです。都市は崩壊し、死傷者は200人以上に上りました。
日本人犠牲者は20人近くにまで上ったと思います。私はその中で見たことを未だに忘れることが出来ません。
そして、災害時備えて常日頃用意しておいたほうがいい防災グッズも学ぶことが出来ました。
私の体験を通して、一人でも防災の意識を高めれればと思います。
災害時役に立った防災グッズ
私が災害時に本当にお世話になったのは、ラジオと懐中電灯でした。懐中電灯は取っ手を回すと電力を備蓄することの出来る便利なものでした。
ラジオは携帯式の電池を使うコンパクトのものでした。地震直後停電が起こりました。
お昼だったのですが、周りの皆も何が起きたのか全く情報を掴むことが出来ませんでした。
しかし、ラジオがあったのでつけてみると、都市が崩壊、死傷者多発と繰り返し放送されていました。
これで今起きた地震がただ事でわないと知ることが出来ました。
そして、WHOなどからの物資の無償配布や緊急避難先などといった重要な情報もしきりに流されていました。店も2日ぐらい閉まっていたので、私が物資をただで貰うことが出来たのもラジオの情報があったからでした。
また、電気の復旧は目処がたっていませんでした。なのでその日の夜は明かりと電気なしの生活を送らなくてはいけませんでした。
暗闇の中は、何が落ちているのか分からないため必需品でした。昼間の地震で床一面は、割れた食器のガラス片などで一杯だったのです。
また、食事を取るのに役に立ったのがコンロでした。
火をつけて料理を作れるので非常に助かったのを覚えています。また、近所付き合いも大切だなと感じさせられました。コンロがなかったのですが、隣の部屋に住んでいた人が持っていて、お互いを助け合いながら、その場をしのぐことが出来たからです。
私の災害時の幾つかの反省点
私は災害を軽視していました。そのため、いざ災害が起きたときにどこに物があるのかが分かりませんでした。
実際、懐中電灯を見つけるのにもかなりの時間を費やしました。
また、備蓄用の食糧も用意していなかったのです。必要なものを災害時に用意することは本当に困難です。
飲食類はまさにそれでした。物資の支援がなかったら、一体どうなっていたか分かりません。
もし、家が倒壊しそうになっていたら、必要なものをもってすぐに避難できただろうか?
答えはノーです。その日以降、最低限のグッズをバックに入れ、備えをしておくようになりました。本当に災害は起きてからでは遅いと思いました。食料品を始め、情報収集が出来るように携帯用ラジオ、寝袋など野宿できる用意はしておいたほうがいいと思います。