阪神・淡路地方を襲った大震災
1995年1月17日、午前5時46分に阪神淡路を中心にしたマグニチュード7.3の地震が発生しました。
今より20年前の事です。
震度は最大一部の地域で7を記録し、当時気象庁が設定した地震の揺れの強さを表す数値の中では初めて7が観測された地震になります。
こうして書いていてもその規模の大きさが伺えますが、発生した時間が明け方だった事もあり大多数の人がまだ眠りの中にあった状況でした。
多くの家屋が倒壊し、家具の倒壊に巻きこまれて被害に会う人が多く出ました。
揺れが10秒以上続いた地域も
震源地と見られているのは主に淡路島北部の明石海峡付近と見られ、近畿圏の広域で被害が確認されました。
被害としては兵庫県を中心に死者6,434人、行方不明3人、負傷者43,792人、火災293件、焼失棟数7,574件となっております。
家屋の倒壊によって被害の拡大が大きい事も特徴ですが、水道、ガス、電気などのライフラインがことごとく停止した事もその後の避難生活に支障をきたしました。
直下型の地震と言う事で、最長10秒以上の揺れを観測した地域もあり、この規模の地震がこれだけ長い時間続くと言うのも恐ろしい物があります。
この規模の地震が起きた際には室内でもどれだけの事が起きるのかと言う事を検証したテレビ番組も当時沢山やっていましたが、ブラウン管のテレビが宙を舞って飛んでくるレベルです。
これまで安全とされてきた交通網周りの被害
阪神淡路大震災のもう一つの特徴は、高速道路や新幹線の高架などそれまで安全とされてきた物が崩壊した事です。
文字通り高速道路が崩れた映像を目にした人も多いと思いますが、この震災を機に国レベルでの建築防災が見直される形になりました。
それまでの大きな震災と言うと、関東大震災が挙げられると思いますが、そこから長い年月を経て更に防災改良を加える機会となったのです。
当時阪神淡路大震災は海外でも大きくニュースに取り上げられ、その後の救助体制も注目される事となりました。
現在でも海外の支援団体が災害後に救助支援のため現地入りしてくれる事は多々ありますが、どの国の救助隊も日本の救助するがわとされる側の協力体勢、そして治安を大きく崩さずに救助に専念できる事に驚くそうです。
大きく報道されないだけで、震災後に治安が悪くなった地域もある様ですが、それらも含めて防災に対する意識を変える様な震災事例です。