震災時の津波流出物「思いで返したかった」
宮城県名取市の小学校で、東日本大震災の際に津波で流出したと見られるランドセル等約3千点を処分する事に至ったと言うニュースです。
当時津波に飲みこまれ、その後漂着した物の中には持ち主が不明のまま今日まで至ってしまった物も多かったようです。
参照[津波流出のランドセル処分「思い出返したかった」 宮城・名取市の旧閖上小]
http://www.sankei.com/affairs/news/160204/afr1602040039-n1.html
主にランドセルの他にも鍵盤ハーモニカや学生カバンなど当時の生徒が使用していた物だと思われる物が保管されていました。
返却会の人数も年々減って行き、当初より持ち主の元に戻す事が責務と考え同小学校では保管を決めていたようですが、定期的に行われている返却会も年々参加する人の数も減ってきている様です。
更に、この小学校自体も近日区画整理により解体される予定の様で、処分は苦肉の策とも言えるでしょう。
現実問題として新しい保管先の確保や、それにかかる経費もただでは無い事からこれらの持ち主不明の流出物は焼却処分となる様ですが、その中でも見つかって保管されていた写真24万枚はデジタル化し、市内に存する仮設住宅の集会場で閲覧が可能な状態にしておくと言う事です。
約2年間の保管期間に携わった方の気持ちとは
流出物が集まってから今日まで2年程の期間との事でしたが、保管業務に当たっていた方の気持ちとしてはやはり「思い出をご家族の方に反したかった。残念です」との事です。
現実的な部分として持ち主の子が既に他界してしまっている可能性もあるでしょう。
遺族の方はご存命でも既にこの地を離れてしまった人も多いはずです。
海水や泥にまみれてしまった持ち主不明の流出物は痛みも進んでいるようで、結果的に処分と言う形になってしまった事は残念ですね。
時間が経って海外に漂着する物も
東日本大震災から5年ほど経ちましたが、当時津波により流出したと思われる物も後日思いもかけない場所で発見される事もありました。
当時テレビで放送していた物の中で印象的だった物は、被災地で居酒屋を営んでいた方の店先に飾っておいた店名が入ったブイや、サッカーボールがカナダに漂着した事もありました。
その後拾った方の好意で持ち主に返還されましたが、こう言った事も往々にしてあるようです。
特に震災によって命を落としてしまった方にまつわる物が手元に戻ってくると言うのは感慨深い物があります。
今回の宮城県名取市の小学校における流出物も、あわよくば持ち主やご家族の元に戻せる事が出来ればと思いましたが、時間の経過と共に取り巻く環境も変わって行くと言う事でしょうか。