2011年3月11日に起きた未曾有の震災
今から四年前の震災の概要になります。
東日本大震災は2011年の3月11日、午後14時46分に起きたマグニチュード9.0、最大震度7を観測した地震とそれがもたらした津波被害を指します。
この規模の地震が日本で起きたのは戦後初めての事で、震源はゆうに岩手県から茨城県にまたがりました。
この中で最大深度を観測した地域が宮城県栗原市になります。
多方面に渡る被害
沖で発生した巨大地震と言う事もあり、大きい揺れの後には津波も発生しました。
当時テレビの映像で見た人も多かったと思いますが、内陸まで容赦なく進んでくる津波の勢いをまざまざと見せつけられた気がします。
太平洋側の地域で、最大10mもの波高を記録した場所もあり、その後の防災の認識を大きく変える結果にもなりました。
津波と言う物は高さのある巨大な波が一気に押し寄せてくると言う認識を持っていた人が多かったと思いますが、内陸に突き進む津波の映像を見ていると河川の氾濫の様に水かさが増してくる印象を再認識したんではないでしょうか。
その他液状化現象や地盤沈下など、震度の大きさに比例して様々な被害をもたらしました。
関東一円でも大きな揺れは体感でき、都内では交通網が麻痺し、帰宅難民と呼ばれる人が実に約350万人も出たと言われています。
東京だけでこの数字ですから、神奈川や千葉などの数字も足すともっと大きい数字になると思います。
福島第一原子力発電所の事故
時間が経過した後、福島県に存在する東京電力福島第一原子力発電所の事故も発覚しました。
これは震災により全電源が落ち、原子炉を制御出来なくなった結果1,2,3原子炉内でメルトダウンが発生した事故になります。
この事故により、大量の放射性物質が漏えいしたとみられています
今でも原子力発電所の要不要論は展開されていますが、昔にあったチェルノブイリ原発事故と同等のレベルの物と位置付けられています。
余波を受けて関東でも計画停電が実施されたり、街中でも積極的に節電に協力する店舗が多くみられました。
防災対策とその後
国政としても地震発生後史上初の緊急災害対策本部を設置し、この震災を激甚災害に認定しました。
二次災害を始めとしたその後の被害を最小に抑えつつ、被災地には迅速に対応が求められ、海外からの支援や救助隊、ボランティアの方による様々な支援も記憶に残る所です。
その後から現在に至るまでにもまだ完結出来ていない部分も多々あり、原発の汚染水や多大な瓦礫の処理もどうして行くかが遅れている状況です。
防災と言う観点から見ると、津波の到来を認識してビルの屋上に避難した人や高台に避難した人も多かったですが、予想を上回る規模の津波によって被害にあわれた方が多数いました。
地震だけでなく津波に対する防災も改めて認識させられる災害だったと言えるでしょう。
日本国内では死者数、行方不明者数が1万人を超えたのは初の震災で、1都1道18県で負傷者を出す未曾有の震災となってしまいました。
一番被害に直結したのはやはり津波で、時期的な水温から来る低体温症の他にも津波に含まれる有害物質や土砂などもその原因の一つと見られています。
現在進行形で復興も進んでいますが、日本史の中でも大きな傷跡を残した大災害が東日本大震災です。