昭和後期に起こった都心でのホテル火災
ホテルニュージャパン火災は昭和57年2月に起きた大きな被害を出した火災事故です。
千代田区永田町にあった建物内で、9階の客室から出火した事で最終的に33人が死亡し34人が負傷する大惨事になりました。
日本の火災事例の中では絶対と言っていいほどその名が出てくる事から、その後の防災にも大きく影響を与えた事故と言えるでしょう。
地上10階立て、地下2階のこの建物、火災によって上層の階を中心に4.186㎡を焼失しました。
出火原因は宿泊客の寝タバコ
この日深夜3時前後、9階の宿泊客の客室から寝タバコが原因で出火しました。
その後同じ9階にあった従業員の仮眠室に向かっていた人が充満する煙に気づき、階下に戻った後もう一人人員を連れて来たところ客室から助けを呼ぶ声に気付きました。
マスターキーでドアを開け、倒れている宿泊客を発見しましたが、この間の初期消火活動の遅れが被害を増大させる事になってしまいます。
すぐに備えつけの消火器を用いて一旦は火を消した様にも見えたようですが、再び燃え広がり新しい消火器が必要になってしまいます。
しかし、先ほどとは別の新しい消火器の配置場所が分からずその間にも火は燃え広がりました。
この際別の人間が9階の屋内消火栓を活用しようとしますが、パニックも手伝い上手くホースの伸ばす事が出来なかったようです。
火災通報があったのが20分後
消防署に連絡があったのが出火後実に20分経過した後と判明しています。
しかもそれは従業員や宿泊客からでは無く、通行人がホテルの前の公衆電話から行った物でした。
後の調査でこの公衆電話からでは火事の大本の位置が見えないため、一部の火や煙で通報したとしてもその時点ではかなり広範囲に渡って燃え広がっていたと判断されました。
基本的に火事の場合は初期消火活動と同じく消防署への通報も早急に行う必要があります。
早ければ早いほど火の拡大を防ぐ事にもなるので、いざと言う時は真っ先に通報するぐらいの心持で良いかと思います。
避難に関する教育不足の指摘
この様な非常時のホテル側から従業員に対する避難誘導の共有が行われていなかった事も判明しました。
火災発生当初一部の従業員と警備員からの避難誘導はありましたが、それが組織だって全館同時に行われた事は無く、全体的に見るとホテル側の対応に問題があったと言う事になっています。
その他の延焼の要因として、外国人宿泊客が多くコミュニケーションが効率良く取れなかった事や、建物の構造自体も簡素な物ではなかったため避難経路が判別しにくい事があります。
上記の様な要因が幾つも重なり、結果的に一般の宿泊客は逃げ惑う事態に陥りました。
防火設備の不備が発覚
ホテルニュージャパンでは火災に対する防災設備でことごとく不備が発覚します。
スプリンクラーの設置義務があったのにも関わらず未設置、館内の非常放送設備が当時故障していて、一部防災区画の配管にも問題があった事が分かっています。
細かい所では客室機材の一部に防火対策が施していない物を通常使用していたり、そもそも部屋通しの壁は木製の物だった事も火災規模を増長させています。
これは一旦火が付いた際に煙を多く出し、避難者の行動を困難にしてしまいます。
火災の際は火で命を落とす人よりも有害な煙を吸引して意識を失い、そのまま死亡してしまう人が多いのです。
結果的にホテルオーナーの防災に対する意識の低さが被害に直結した形になってしまいました。
普段より各設備や従業員にも防災意識を持たせる事が出来ていればここまでの被害にはならなかったと思います。
当時のニュース映像等も目にする事が出来ますが、社会現象まで発展した火災事例です。