22時間半後 最大6.1mの津波が三陸沖を襲った
1960年5月22日、震源はチリ中部の都市バルディビア近海で、規模は表面波マグニチュード(Ms)で8.3 – 8.5、モーメントマグニチュード(Mw)では9.5の巨大地震が発生しました。Mw9.5という値は、近代地震学の計器観測史上で世界最大であり、歴史地震を含めても最大級です。
まず前震がM7.5で始まりM7クラスの地震が5~6回続いた後、本震がMs8クラスで発生しました。また余震もM7クラスであったために首都のサンティアゴ始め、全土が壊滅状態になり、地震による直接的な犠牲者は1,743名、負傷者は667名です。
地球の真裏にある日本でも津波被害
「1960年(昭和35年)5月24日:チリ地震津波に襲われた大船渡町(現 岩手県大船渡市)」
引用:http://www.bo-sai.co.jp/
本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、平均時速750kmで伝播した津波は約15時間後にはハワイ諸島を襲いました。ハワイ島のヒロ湾では最大到達標高10.5mの津波を観測し、61名が死亡しました。
日本でも地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大6.1mの津波が三陸海岸を中心に襲来し、各地に被害をもたらしました。気象庁はこの津波をチリ地震津波と命名しています。
日本はチリから見て地球の真裏近くに有り津波が収斂しやすい位置関係であったため、他の太平洋沿岸地域と比べ被害が大きかったと言われています。
日本でのチリ地震津波による死者・行方不明者は142名にのぼりました。
津波の被害が特に大きかったのは、リアス式海岸の奥にある港で岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布地区では11名が死亡。浜中町では1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度にわたって市街地は壊滅的な被害を受けました。
なぜ他の国に比べて、日本の津波被害が大きかったのか?
津波は対局に向かった収束していきますが、その対極が日本だったのです。波源から放射された津波は、対極に向かって収束していくことになるが、波源から見て対極に日本が位置していたこと、ハワイからミッドウェイに至るハワイアンリッジを回り込むように収斂し、ハワイ諸島がいわゆるレンズ効果として作用したことが報告されました。
早朝来襲したチリ地震津波は、北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に大きな被害を与えましたが、体感する地震がなく、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちでした。南米沖で発生した遠地津波は、1586年以降19例もあったのだが、その認識が不足していました。
過去にも江戸時代にチリやペルーで津波が発生するたびにハワイや日本にも襲来し、日本の太平洋沿岸で大津波が発生すると逆にハワイや、米国西海岸、南米に津波が押し寄せていたことが判明しています。
体感する地震がない場合でも、環太平洋で大地震が発生した場合は大きな津波がくるケースが考えられます。世界の地震情報にも警戒が必要です。
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